社団戦2017シーズンが始まる前、2016年に話は遡る。
2016年の将棋界と言えば、室谷由紀が猛威を奮った年と言っても過言ではなかろう。タイトルにこそ届かなかったものの、その荒ぶる振り飛車は81マスの将棋盤を縦横無尽に駆け、新時代の振り飛車の幕開けを予感させた。それまで美人ファイター女流棋士としか見ていなかった私は、いっぺんに室谷将棋の虜となった。居飛車党(角換わり、横歩、矢倉)の私は振り飛車を学ぶ決意をする。棋譜を並べ、定跡書を読み、実戦で腕試しをした。序盤だけで負けになってしまう将棋を何遍も指した。それでも会得できない日々が続いた後、一つの決意をする。次の社団戦が終わるまでは振り飛車一本で戦おうと。その後、何のいたずらか、2016年12月のマグロ大会では C級で予選を突破するというラッキーな出来事も起こる。だが、それは単なるラッキーな一日だったと実感することになる。1年ほど経過した今の感触は、「居飛車は実力通りの結果が出る。振り飛車は稀に格上にも一発入るが、格下にも負けることがある。」というのが私の考えだ。
苦闘の振り飛車の日々は続く。そしてそれが続いたまま第28回社団戦シーズンを迎える。
元々受け将棋で相手のミスを粘り強く待つ将棋なのだが、どうしても自分の振り飛車に自信が持てず、途中で暴走してしまう将棋になってしまい、分かっていながら上手く駒組を進展させたり手待ちができない。その自信の無さは、やはり内容にも結果にも表れる。
しかし、居飛車の将棋でジリジリと負けるような将棋というよりは、「なんかありそう」という局面にはなるという対局も多く、結局はそこから先は棋力の無さということのようである。
言い訳になるが、今シーズンは対局相手のあたりが強く、高段者との戦いが多かった。真剣勝負で腕を磨ける絶好の機会と考えると負けても痛くない。振り飛車のコツを掴むためにチームメンバーの将棋からも習った。特に振り飛車党ハマキは、社団戦でも横に座ることが多く、彼の将棋を見ながら自分の指し手を考えた。
苦しいながら3勝。これが今シーズンの結果だ。
棋風を変えるというのは冒険だ。しかも、その先に何も見えないまま足を踏み出さなければならない。場合によっては手ぶらでスタート地点に戻ってくることだって考えられる。これは何のための冒険なのだろうか?と逡巡する中、同時に冒険の無い人生に意味はあるのだろうか?という形而上学的な別の視点も湧き上がってくる。
難しいことはさておき。
室谷由紀の将棋に衝撃を受け振り飛車を指した1年が終わり、数日、将棋を指すことないまま過ごした後、徐に将棋クエストを起動し、初手に飛車先を突いた。この半年で流行を迎えている雁木を見よう見真似で指し、全く分からず散った。それから数局居飛車を指し、鈍っていた感覚を少し取り戻す。どうやら居飛車もそんなに錆びついていないようだ。相手が居飛車なら居飛車で進める。相手が振り飛車の場合は、自分も飛車を振る。振り飛車のスキルも蓄積させ続けたい。
「居飛車には居飛車、振り飛車には振り飛車」という棋風の女流棋士がいる。伊藤沙恵女流二段。2017年女流棋界の台風の目となっている。受けの棋風と言われる将棋は、私の理想でもある。
次なる冒険はオールラウンダーだ。居飛車の最新型にもついていきたいし、相手を翻弄する振り飛車も続けたい。
何のために?
冒険のために。冒険を楽しむ人生のために。
(文 クボタ/@totheworld)
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